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ターニングツール [木工]

先回、「これから作る、中ぐりり用のバイト」という項があったが、その真鍮棒で早速作ったのを紹介します。

「ホローマスター」という、替え刃式の中ぐり用バイトで、オフコで購入すると¥12.000程するもので、自作すると替え刃も含めて、¥1.000程で作れる。写真は、2時間程度で作成したものだ。
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替え刃は、ハイス鋼の丸棒で、4mmと5mmを取り付けることができる。(替え刃は別なものだが、もっと短い刃でなければ邪魔になるので、又作る予定です。

上は、組み立てた状態で、下はオフコでHSSブレードブランク」というくさび状のハイス鋼で作った、突っ切り用のバイト。(3.2mm幅で、どんどん切り込んでいく。)
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ミニレース(旋盤)に使う「ツールレスト」と言われているもので、丸鉄筋で作った。
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奥が付属品で、取り付け部と右側の短いものを作った。

まだまだ作りたいものがあるが、折を見て少しずつ作ろうと思う。(その都度、紹介します。)

次回は、旋盤を活用して使う研磨治具等を紹介します。

ウッドターニングツール [木工]

「お金がない」と言う事は、人を時として思いもよらぬ方向に導かれることがある。
昭和56年、結婚と同時に勢いで衝動的に建ててしまった自宅。当時、給料の手取りが14万円程度だったと思う。ローンも含めて支払い後、残ったお金が約4万円。妻から「どうやってやっていくの?」と言われながらも、小遣いを5千円以内(その後、6年前定年時の小遣いは、1万円まで上がっていた。)と決めて始まった生活で、困窮し続けたのは言うまでもない。
その年の12月、歳末謝恩福引で、1等10万円が当たった。(宝くじ他諸々のくじ系を買い続けているが、当選したのは後にも先にもその時限りである。)
妻の「ローンの返済に充てて!」を振り切り、迷わず買ったのは、マキタの日曜大工セット(2万8千円)と、チェンソー(4万円)。そこからが、私の木工人生(ちょっと大袈裟だけど・・・)が始まった。

ちょっと、前置きが長すぎたけど・・・中は飛ばして。

ブログのネタを探すのも大変だし、このブログを見てくれているのは、きっと昔の仲間や「森のささやき」で知り合った方たちが主だろうと思い、今までに「お金がない」ゆえ手作りしてきた道具や作品を紹介していこうと思う。

昨年春、「森の無骨な道具達」で展示したものも含め、新たに作成したものもある。
今回は、ウッドターニングの一部を紹介します。

KERVミニレース
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5年前、オフコで購入した39.900円の木工旋盤(木工を始めてから現在までに、新品で購入した電動工具は、この旋盤と日曜大工セット・チェンソーだけで、後はリサイクル品・オークション品・知り合いなどからいただいたものや、使えなくなったものをいただいて、自分で修理したものがほとんどである。

現在制作中の、大型旋盤(直径700mmまでの作品を作ることができる。)に使う、インバーター(変速・正転・逆転ができ、100vを200vに変換できる。)
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本体は、後ほど紹介します。

製作品を掴むチャックと、それに取り付ける自作のジョー及び作品の一部(手前の2本のバイトは唯一購入した2本)
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買うと万円以上はする。(今後さらに数種類作成予定)

替刃用の自作スクレーバーに、通販で購入した4mmと5mmのハイス鋼の丸棒で作った替刃及び、電動カンナの刃を切断して作ったオリジナル替刃と、オフコで購入した替刃(いずれも、バーは自作)
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作品を作っていると、どうしても「かゆい所に手をとどけたい」ことがあり、既製品にはないため自作が必要になる。特に、電動カンナの刃で作った替刃の切れ味は、「言葉で伝えるのは難しい(オフコ)」
・奥の真鍮棒と5mmの丸棒(ハイス鋼)は、これから中ぐり用のバイトを作る材料

オフコで、HSS鋼材を購入し、研磨して作ったバイト(取っ手は自作)
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買えば、どれも2千円から6千円するもので、ハイス鋼が手に入れば、同じ切れ味のものを作ることができる。

紙の裁断機で使われていた替刃を切断して作ったバイト(ハイス鋼ではないため、切れ味が持続しないので、今はあまり使っていない。)
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まだ、これから数本作る予定だ

今後、大型旋盤・研磨具・便利治具などを順次載せていく予定です。作成方法など知りたい方は、連絡ください。

「お金がなかった」おかげで(無いよりは、あった方がよいのは言うまでもない)、道具の修理や自作ができるようになったし、業者に頼めないから2級建築士の資格も取ることができた。そして、自前のログハウスや工房、はたまた古民家の移築までできるようになったし、なによりもそこから大切な「人との繋がり」を持てるようになったことが、一番の財産となった。

ある方から「お金は、生きた使い方をすれば必ず自分に返ってくる」と教わったことが、常に頭の中にあった。時には、「生きた使い方をしているつもりなのに、さっぱりお金が入ってこない」と嘆いたことも幾度となくあった。
今になって思う 「生きた使い方(・・は、人それぞれ)をすれば、お金では買えないほどの事が手に入る」ということだろう。・・・このことを妻に話したら、ソッポを向かれた。

現在の私の小遣いは、売れた作品代金のみ。(ちょっと寂しいが・・・)
麺打ちの道具(麺棒・まな板・延し台や脚・捏ね鉢の脚・他)がよく売れている。(ソバ打ち3段のYさんや、そば道場のMさんがいつも協力してくれている。)

なによりも、そんなこんなに精を出している時が、一番充実しているような気がする。・・・・宝くじって、当たらないな~!




あけましておめでとうございます。 [紹介]

1年の計は、元旦にあり。

1日から2日にかけて、ひたすら寝まくった。合計、46時間は寝たと思う。
決して昨年の疲れではなく、今年これから活動するための「寝貯め」だ。

昨年は、震災で心を痛め、自分にできることを考えながら過ごした1年でもあった。とはいえ、時間は先にしか進まないから、今できることをしっかりと進めることが「自分に与えられた使命」とばかりに、昨年の正月に立てた「3つの誓い」に邁進していた。

誓い1:ウッド・クラフトの作品展をやりたい。(テーマは、「木のフレーム」)
    11月12日、「森のささやき」で知り合った方たち6人、で5人(6人)展を開催でき、200名近い方たちか    ら訪れていただいた。作品は、「木のフレーム」32点を展示できた。
誓い2:1反の田んぼで作った米で、美味しいご飯と、麹を作って手前味噌とどぶろくを作りたい。
    自然農法だから、シカやアライグマ、鳥や虫たちにおすそ分けして、残り60kgとれた。(ちなみに、長沼    の農家さんで1反当たり約560kg、同じグループの最高者(カントリーバーンさん)が約200kgとれてい     た。) ご飯は、最高の味がしたのは言うまでもありません。  麹と、どぶろくはこれから3月にかけて仕込   む予定。
誓い3:1月1日に年賀状を届ける。
    残念ながら、願いかなわず。年賀状を購入したのが12月28日で、作り始めたのが3日になってしまっ    た。

昨年の反省
 昨年、「ゆっくり「自宅でくつろぐ」ということが1日もなかった。朝4時から夜寝るまで、ひたすら動いていたような気がする。その割には、田んぼは草とりに追い付かず、水の管理もままならない。「森のささやき」前の広場は、燃料用雑木の山積みで景観は悪く、片づけたのが12月のクローズになってから。その後、倉庫・工房の整理や、自宅にサンルームの取り付けなど々、時間がいくらあっても足りやしなかった。

今年の抱負
 昨年の反省を踏まえ、まずは時間の確保。「森のささやき」のオープン日を「火・木・土から木・金・土へ」、時間を「11時から18時へ」変更したことで、日曜日と火曜日がまる1日空き、(月・水は、メンタル活動)午前の時間が1時間増えた。
 今年は、稲作の収穫倍増と、クラフト作品のテーマは「木の器」で、作品展を「札幌市地下歩行空間」において開催。そして今年こそ、「元旦に年賀状を届ける」ことを誓う。 さらに、時間が増えたことで、何か新しい試みが出きればとも思う。

 そうそう、4月から千歳・恵庭地区の週刊情報誌「ちゃんと」(毎月第3発刊紙)に、1年間私のコラムが載ることになった。(ちょっとした「コラムニストだね)人との繋がりは、思いもよらぬ方向に進むことがある。昨年、「ちゃんと」に5人展の案内を乗せていただいた時、記者のHさんから話が持ち上がった。
・・・どうなることやら・・・

・・・人は言う・・・「マグロ(動きを止めると死んでしまう)だね」・・・自分でもそう思う。
 この世の中何時・何が自分の身に起こるか分からない。休む時は、「病気やけがをした時・やがてやってくる、動きたくても動けなくなった時」ゆっくりと休もう。・・・今年は、特にそう思う。

今年もよろしくお願いします。

1月吉日

昨年増築した、3畳程の小部屋(小GPのお客さんに、ゆっくりと使っていただきたくて作った部屋)
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昨年10月の、田んぼ風景(今では、ほとんど見かけなくなった)
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エゾリスのチョコとココ(1昨年亡くなった、ピーちゃんの子供)が、仲良くじゃれあっていた。
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同じく、チョコとココが毛づくろい中(エゾリスが、毛づくろいしあう姿は初めて見た。普段は、縄張り争いしかしないのに・・・)
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「木と紙と絵とピエロの5人展」 [紹介]

先週土曜日(12日)、千歳市民ギャラリーにて森のささやきで知り合った方たちと、1日だけの「木と紙と絵とピエロの5人展」(実際は、6人)を開催した。

 私にとっては初めての展覧会ということもあり、どのくらいの人が訪れてくれるのだろうと、不安と期待の中の開催であったが、地区(千歳・恵庭)情報誌「ちゃんと」のHさんの協力(掲載)のおかげで、予想をはるかに上まわり、開催時間前から大勢の方たちでにぎわった。
実は、「ちゃんと」掲載のきっかけを作ってくれたのは、千歳市在住のKさん(女性)で、その方を繋げてくれたのが、同じ千歳市のFさんで、いつも「森のささやき」へ来ていただいている方達だ。(ほんとうに、ありがとう)

5(6)てんに参加したのは、「木」:木のフレーム(私)・木のフルート(小野昭一氏)、 「紙」:あかりのしずく(風嘉さん)、「絵」:油彩画(阿部信行氏・肖像画(ジェイ・オガワ氏)、ピエロ:ピエロの人形(秋場義明氏)で、それぞれ個性あふれる作品だった。

私は、今年の作品作りのテーマを、「木のフレーム」と名打ち世界に一つしかないフレーム(推定150年の立ち枯れのイチイや、風倒木など捨てられる運命にあった木・古民家の朽ちかけた土台などを再生したフレーム)32個を出店した。

風嘉さんのあかりが、2人の作品を引き立ててくれた。
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木のフルート(ラブフルート)
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油彩画
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木のフレーム
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札幌市、Mさんから依頼を受けた、パッチワークのフレーム
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私の先輩から、「どうしてもほしい」とせがまれ、やむなく手放すことにした古民家の朽ちかけた土台のフレーム(一番のお気に入りだったのに・・・)
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いつも森のささやきに野菜を届けてくれる「Kさんの母さん」に、お礼にプレゼントしたフレーム
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フルートの音色に魅かれ、即席で振付しながら踊りだした、追分町のOさんの奥さん(タップダンスの先生)
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終了間際、フルートの小野さんと「ブルーレイバン」仲間のKさんが、ミニ演奏会を開いてくれた。
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言いわけ

半年ぶりに更新!
今回、言いわけに徹したいと思う。

ん~!何から言いわけしようか。今日、3時に目が覚めてしまった。しばらくボ~っとしていたら、急に「ブログの更新をしなくては」と思い立ち、3月からの半年間、未更新の言いわけを考えていたら、森のささやきでのお客さんとの会話を思い出した。曰く、「どんな言いわけをしたって、結局半年が過ぎているわけだから、ごめんなさいしかないよね!」・・・だよね!

で・・・半年の間、私のブログを訪ねてきていただいていた皆さん「ごめんなさい!」 (その中には、私と親しい方々もいると思います。私の身に異変があったわけではありませんので、悪しからず。相変わらず健在です。)

というわけで、あれから半年間のネタを一挙に公開します。

3月、自家製の麹で約100kgの味噌を仕込み、(当時は、その様子をリアルタイムで載せようと思ったのに・・・!)ベーコンやソースの作成をし、今シーズン 「森のささやき」オープン初日に合わせ準備に大忙しだった。

オープン初日には、追分町のOさんご主人がオープン前から駆けつけていただいた。(その日を勝ち詫びていたそうで、嬉しかった。)その後も、オープンを待ちわびていたリピーターの方たちが一同に集まり、(言うまでもなく、「森のささやきのマドンナ」Kさんの母さんも健在でした。)いつものごとく「冬眠」間の出来事を持ち寄り、話の花が満開状態だった。

それから今日まで、5月の「木のフレーム展」、6月の「ハンマーダルシマコンサート」、7・8月はひたすら暑さに耐えながら、ベランダに小部屋の増築、そしてあっという間の9月(もはや半ば)、そろそろ山の方から初雪の便りが聞こえてきそうな季節となりました。

そうそう、今年はこの忙しさに加え、田んぼ(不耕起培)まで始めてしまった。妻いわく、「どこにそんな時間あるの(>_<)」・・・皆さんからも、「体壊すからやめなさい!」・・・などと、心配の言葉をいただきながらも、5月下旬に息子たち2人の力を借り、悪戦苦闘しながら一反(田んぼ一枚約300坪?)の田んぼに苗を植えた。
あとは、ひたすら「雑草との戦い(不耕起培は、草取りもしないそうだが、とりあえず・・・)」・・・でした。

その田んぼも、間もなく稲刈りの時期が来てしまった。(ここも、十分なネタになったのに・・・!)

そんなこんなの半年間でした。この先、10月2日に「#3 森のコンサート」(細部は、ブログ・ようこそ森のささやきへ」に掲載)を開催し、11月初旬、千歳市民ギャラリーにおいて、「木と紙とピエロの3人展(仮名)」を予定しながら、最後の追い込みに入ります。

皆さんからよく言われます。「どうしてそんなに動くの?まるで、サメかマグロだね。少し休めば!」などと・・・

「生あるものは、この先何が起こるか分からない。明日の命さえ確定されたものではないだろうし、だからこそ今できることをやっておきたい。そう遠くない時期に、動きたくても動けない時期が来るだらうから、そうなった時ゆっくりとした時間を過ごしたいと思う。」・・・私の「持論」です。

追伸
先の、震災に災害派遣された自衛官の皆さん、そしてその留守を守った同僚や家族の皆さん、ほんとうにご苦労様でした。その間、ストップしていた訓練や行事が、他の訓練等と凝縮された状態で日夜奮闘参加されていることと思います。どうか、健康に留意されながら「次の任務」に向け、邁進されることを切に願います。

被災地から帰還した仲間達へ [応援]

被災地のことが気になり、なかなかブログを更新できずにいる。

普通の生活に戻らければと思いつつ、幾度かブログを書き始めてはみるものの、仲間たちが被災地で活動していることを思い浮かんでしまい、つい削除してしまう。

今週、第1便が交代で帰還した。その中に、もし自分を苦しめている君がいるのなら、どうか人の手に委ねてほしいと思う。

君が見た光景や起こした行動は、すべて現実のことであり、その現実から目をそむけてはいけない。

そして、君が手を差し伸べたその一つ一つにより、被災地の復興が一つ前に進み、不幸にも亡くなられた方々は家族の元へ帰ることができたのも現実なのだ。

その時の光景が目に浮かび苦しんでいるのなら、迷わずカウンセラーの元に走ってほしい。きっと君を助けてくれるはずだ。そして、君のいる組織のみんなが手を差し伸べてくれると思う。

どうか、仲間を信じてほしい。

               北のOB

被災地へ出向く、自衛官達へ [応援]

昨日、東千歳駐屯地から、大勢の自衛官達が被災地へ向けて出発した。
その中に、私の長男も含まれていた。自ら志望していたという。

昨年6月、長男夫婦に第1子が生まれた時、ちょうど部隊のレンジャー訓練に参加していた。妻の出産が控えているにもかかわらず、チャンスを生かしたいという希望がかなったそうな。
当然、出産には立ち会えず、「訓練中に子供の顔を見てしまったら、訓練に集中できない」と、我が子に対面したのは1ヵ月後、訓練終了時であった。その時の長男が見せた表情は、今も忘れられない。
そして、その陰でひたすら留守を守り、自らの出産が迫ってくる不安と闘い、無事出産に至った嫁の姿も又、自衛官の妻の姿であった。

あれから間もなく1年を迎えようとしている。

どんな過酷な任務も、命令が下さればそれに従うのは自衛官の使命であり、そしてその任務を達成しなければならない。しかしその陰で、同じように不安や現実と闘い、無事を祈りながら帰りを待つ家族がいることを、忘れてはいけない。

6月、1歳の誕生日を家族そろって祝えることを、心から願う。

                               北のOB
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震災の地で活躍する、自衛官たちへ [応援]

食事はとれているだろうか。

夜、しっかりと寝ているだろか。

時には、休養をとっているだろうか。

君たちは、おそらくはじめての、過酷な現状を目のあたりにしながら、時には目をふさぎたくなるような現場にもしっかりと現実を見つめ、与えられた任務を確実に遂行しているに違いない。

その現実は、電波を通して世間の目に触れることはほとんどないのであろう。しかし、私達は君たちが今、使命感を持って、ただひたすら職務に邁進していることを知っている。

どうか、自衛官であることに誇りを持ち続けることを、心から願う。

そして、任務を完遂し、胸を張って帰ってきてほしい。

                          北のOB
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震災の地で活動する自衛官たちへ [応援]

きっと、休んでいないのだろう。

きっと、寝ていないのだろう。

きっと今、家族や友人のだれよりも被災者方達のことを思い、微かな命を探し求めているであろう。

きっと君らは、その一瞬のために今まで努力を積み重ねてきたのであろう。

私は今、その地にはいない。しかし、君たちの姿を報道で紹介されるたびに、まるでその地にいるかのごとく体に力が蘇る。

私だけではない。多くの仲間たちが同じ思いで見ているに違いない。

心から応援する。

そして、君たちを誇りに思う。
           
              北のOB

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本年、最初のオープン [つながり]

2周続けてオープンできないでいたが、昨日ようやくオープン(らしき)することができた。

屋根に積もった大量の雪のせいで、釜の煙突が根元から曲がってしまい、一部提供することができなかったが、大勢(森のささやきにとって、8名は大勢の部類に入るのだ。)のお客さんと、「はらへった~!」と言ってOさんが持ってきてくれた饅頭や、お隣さんのタクアン・斜めの(界隈ではそう呼んでいる)Sさんのチョコレートで、大いに盛り上がった。
しかし、やはり今回の震災の話が中心で、今「自分たちにできること」をそれぞれの思いで話してくれた。

長沼町に、開拓で入植してから4代目になるという「Kさんの母さん」、「長沼町は、名前の由来どおり、ひとたび大雨が降ったら近傍の川の氾濫で、何度も水害の目に会ってきた。そのたびに、街全体が沼と化し、水が引くまでには相当な期間を要した」そうな。そして、「どんな災害にあっても、命を得たものは自らの発展のために行き続けなければならない。」とも。災害で、何度も田畑を水没させながらも、そのたびに復興を果たしてきた母さんだからこその言葉だと思う。

長沼町周辺には、幾つもの活断層があり、ひとたび地震が起きれば、命だって危ぶまれるであろうし、だからと言って他に安全な場所などあろうはずがない。

災害に遭ってしまった時、そこから立ちあがろうとする強い意志と復興のために、日々・一時を大切に生きていくことが一番必要なことかもしれない。

※この度の震災で、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。どうか、授かった命と思われ、自分自身の復興のために、一日々を大切に過ごしてください。 私も、自分のできること、身近なところからお手伝いさせていただきます。

「Kさんの母さん」が、「これ、生きているうちに使おうと思って、今日持ってきた」と言って、旧50円硬貨4枚で会計してくれた。今年74歳。何を思ったのだろう。
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